僕の一日
一限からの授業にでて外国人講師の庇護の元いくばくかの英語を話す。かのクラスで友人も出来なかなか愉快な時間である。食堂で昼食を済まし、3時限からの生物に備える。するとどこからともなく例の友人が来る。あれ以来彼のことをなかなか考えているのだが、僕が彼に嫌悪を感じるのは彼の中に小学生の僕自身の病を見るからでは無かろうか。すなわちあらゆる友人の行動を気にし同調しようという病である。僕は彼に行動を教えないという醜悪な愉悦を楽しむという感情が芽生えた。その後彼とは別となった作業班で楽しげな人々と交わる。この授業でもいくらか友人ができそうだ。こうしてつつがなく1日が終わるはずであった。
しかし満員電車のなかで私は醜い欲望の発露を目にするのである。
人の流れを押しのけて席の前に行くほどの猛婆が老人割引で席を譲ってもらっているのだ。あの澄まし顔の醜悪さといったらないというか今も目の前にいるが憎らしいことこの上ない。
僕は譲らないことによる精神的ダメージがきついので老人には基本席を譲るがこういう人種をいかに無視するかが永遠の課題である。
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